校長日誌
工程を人に合わせる会社
保護者の方から、「障害のある子どもを持つ親として、慰められ力づけられるとても素敵な会社があります。」と紹介された川崎市にあるダイレクトチョークで有名な「日本理化学工業株式会社」についてホームページや本を通して調べてみました。この会社の障害者雇用率は社員の7割を超えているのです。1.8%の法定雇用率を達成している事業所は5割にも満たない現状では、驚くべきことです。それも肢体不自由や聴覚障害ではなく知的障害者がほとんどなのです。さらに、毎年採用を継続しながら優良経営を続けているのです。
ここの障害者雇用は、50年前に現場実習にきた知的障害のある生徒2名を、現場実習で一緒に働いた社員が「私たちみんなでカバーします。」と社長にお願いして雇用したことに始まります。最初は苦労の連続だったそうです。会社の工程に慣れてもらうことに力を注いだのですがうまくいかず、社長が先頭に立って一人一人の障害や状態に合わせて機械を変え、道具を変え、部品を変えていったそうです。チョークの色とラインに流す材料や容器もその色に合わせる、数字が読めない人には必要量と同じおもりをつくる、時計が読めない人には砂時計を利用するなど、一人一人とつきあいながら、何ができて、何ができないかということを少しずつ理解していき、人に合わせて工程を組み立てていくことにしたのです。そうすると、一人一人の能力が最大限に発揮できるようになり、健常者に劣らない仕事ができるようになったそうです。
特別支援教育を推進していく上にことさら強調する内容ではありませんが、「一人一人のニーズに応じた教育」というのも、この日本理化学工業を行われている取り組みと同じだと思います。工程に人を合わせるのではなく、「人に工程を合わせる」視点こそが大切だと思わされます。
可能性を信じること
先に紹介した福井達雨さんの本の中から、強く心を揺さぶられた事例を続いて紹介します。「僕アホやない人間だ」という本の中に書かれてあった内容ですが、障害児教育に携わる者として、ここに示された「可能性を信じる精神」を忘れないようにしたいと思いました。
父親の海外出張のため、便器で排泄をしたことのない重度の知的障害のある近子さんを施設に預かって4ヶ月。保母たちの経験に裏づけされた方策をしたにもかかわらず、朝の4時ころになると布団の中にウンコをしてしまい、失敗につぐ失敗でもうだめだと福井園長に訴えにきました。「十分やった。もういいよ。」と園長から言ってほしかったのだと思います。
しかし、園長は、本当にだめかを確認し、ここで支援を放棄することは大切な精神を失うことになりはしまいかと危惧して認めませんでした。「教育というものは、どんな時でも可能性を信ずることや。もう駄目やと思って教育を捨ててしまったら、この子ども達には人間回復なんて生まれない。何もできない子どもであるからこそ、可能性を信じてやるのだ」と。
その結果、職員は奮起して、もう一度近子のおしりとニラメッコをすることになりました。その後6ケ月経ったある早朝、園長のところに職員が飛んできて、「先生大変です。大変です。近子さんがトイレでウンコした!」と泣きながら報告したのでした。
実に入所してから10ヶ月経ってやっとトイレで排便ができたのです。その場に立ち会った職員は、こう言っています。
「わたし、近子ちゃんのオシリをただ祈る思いでにらみつけていたんや。ちょうど30分ほどした時、近子ちゃんのオシリから香ばしいウンコがポツンと出てきた時、ただ感激でいっぱいやった。これほどウンコが美しいものだとは今まで思ったことがなかったし、ウンコのにおいが香ばしいものだと思ったことがなかったわ。宝物を神様から授かったような気持ちやった。自分の仕事が本当に素晴らしいとつくづく思ったわ。」
私たち教員が簡単にあきらめていないか、また努力も中途半端ではないかと反省させられます。「可能性を信じる心」をしっかりもって、子どもたちとしっかりと向き合いたいと思います
目に見えないものを大切にする心
座敷牢に知的障害者を閉じこめていた時代に知的障害者のための施設「止揚学園」を創設して、現在も学園の代表者として活躍されている福井達雨さんの著書を読んで、工業高校の教師から障害児教育に携わる教師になりたいと思うようになりました。もう、20年も前のことです。その本は私が買ったのではなく、妻が買って持っていた本で、「りんごってウサギや」(現在絶版となり「子供に生かされ子供を生きる」(柏樹社、1978)改訂増補版となる)や「僕アホやない人間だ」(柏樹社、1969)を読んで衝撃を受けました。
止揚学園の創設期は、台所の設備が充分でなく、野菜切りの機械などは揃っておらず、職員が、1時間も2時間もかかって、ダイコンをおろしたり、野菜を切ったりしていました。できあがったものは、大きかったり小さかったり、形が不揃いです。だんだん施設の働きが地域で認知されて寄付金がよせられるようになり、「自動野菜切り機」を購入できました。機械がそなわり、見る間に、野菜が切れるようになり、できあがったものは、以前に比べるべくもなく、形が整い、見栄えのよいものでした。
しかし、不思議なことが起き始めたのです。それは、機械切りの食物がでるようになってから、子どもたちの心が不安定になり、落ち着きがなくなってきたのです。初めのうちは、原因がわからなかったそうですが、調査をした結果、創設期の食事は、形が不揃いで、見た目にはきたなかったのですが、保母が一つ一つ手で切ったので、その中に、愛情が深く含まれていたのでないかと気づくようになったそうです。機械切りになってからは、生命のないものによって切られ、たとえ形は美しくとも、保母の愛が、その中になくなってしまい、この愛のない食事をした子ども達は、心理的に欲求不満をおこし、落ち着きがなくなってきたのだというのです。その証拠に、機械切りをやめて、すべて職員達の手切りにもどしてからは、再び子どもたちの心がおちついてきたのです。
嘘のような話ですが、私は真実ではないかと思えるのです。障害のある子どもたちと接していると、口では説明できないことが多いのですが、目に見えないものを鋭く感覚的に捉えている現実に驚くことがあります。
止揚学園では、見えるものより、見えないものの価値を大きくとらえております。阿南養護学校で勤務しているとき、PTAの研修として、この止揚学園を見学することになり、私も喜んで参加しました。風呂もボイラーでたくのでなく、木を燃やしていました。洗濯物も乾燥機は使わず、すべて天日干しなのです。食器も割れにくいポリプロピレンの器ではなく、すべて手作りの陶磁器を使っています。どちらにしようと同じ事ではないかと思う私ですが、止揚学園の方は「違いますよ」と静かにお話ししてくれました。この学園の隅々まで、「目に見えないものを大切にする精神」が息づいていることを肌で感じてきました。私も少しでもこの精神にあやかりたいと願う昨今です。
「僕アホやない人間だ」、福井達雨、柏樹社、1969
「子供に生かされ子供を生きる」、福井達雨、柏樹社、1978
学校評議員会について
昨日、学校評議員会を開催しました。評議員の箸蔵福祉村事務局長の佐々木さんと10数年前に池田町へユーターンして様々地域活性化の取り組みを積極的に行っておられ、博愛塾の塾長もしておられる久保さんのお二人から、様々なご意見をいただきました。
本校は、かねてから箸蔵福祉村の箸蔵小学校や社会福祉法人博愛会との交流をつづけてまいりましたし、本校児童生徒の作品展などを行ってきました。しかし、ここ「博愛の里」から三好市、東みよし町に幅広く、本校の存在を印象付ける活動は行ってきませんでした。そこで、来年度、国府養護学校「池田分校」から「池田支援学校」として本校化するこのとき、地域との連携をいかに深めていくか、についてのご意見を求めました。
評議員の方からは、「運動会や文化祭などの学校行事に地域の方に参加してもらうだけでは、地域とのつながりの強化は期待できない。学校が中心となって、地域の人たちを巻き込んで、何かをつくりあげる事業を立ち上げることが必要ではないか。」と言われました。学校の利益だけを追求するのではなく、巻き込む人たちにとっても利益になる、さらに地域全体に影響を及ぼすような事業の展開こそが地域とのつながりを深めることだ、と現在行っておられるプロジェクトの例をあげて、お話してくださいました。
それを聞き、2,3年の腰掛の校長では実現できないな、と思わされましたが、実に示唆に富む提言でした。まさに、地域との「連携」ではなく、地域との「融合、または連帯」の視点で、私たちに何ができるか考えていかねばならないことを強く意識しました。 (校長)
県立学校に送付されたチラシ等の取扱いについて
送付されたチラシ等は、児童・生徒への一律配布は行わずに、周知の方法を工夫(持ち帰り自由として設置するなど)いたします。
作品募集等の取りまとめは原則実施しませんので、要項等に個人応募の方法を明記ください(希望する児童・生徒が個人で作品等を応募します)。
令和5年度、校則の見直しを行ってまいりました。
校内での審議の後、PTAの役員、学校運営協議会の委員、及び児童生徒から意見をいただきました。
本校における校則は、「服装規定」が該当します。校則の見直しとその過程については、添付ファイルをご覧ください。