学校長の一言

2009年11月の記事一覧

目に見えないものを大切にする心

座敷牢に知的障害者を閉じこめていた時代に知的障害者のための施設「止揚学園」を創設して、現在も学園の代表者として活躍されている福井達雨さんの著書を読んで、工業高校の教師から障害児教育に携わる教師になりたいと思うようになりました。もう、20年も前のことです。その本は私が買ったのではなく、妻が買って持っていた本で、「りんごってウサギや」(現在絶版となり「子供に生かされ子供を生きる」(柏樹社、1978)改訂増補版となる)や「僕アホやない人間だ」(柏樹社、1969)を読んで衝撃を受けました。
 
 止揚学園の創設期は、台所の設備が充分でなく、野菜切りの機械などは揃っておらず、職員が、1時間も2時間もかかって、ダイコンをおろしたり、野菜を切ったりしていました。できあがったものは、大きかったり小さかったり、形が不揃いです。だんだん施設の働きが地域で認知されて寄付金がよせられるようになり、「自動野菜切り機」を購入できました。機械がそなわり、見る間に、野菜が切れるようになり、できあがったものは、以前に比べるべくもなく、形が整い、見栄えのよいものでした。

 しかし、不思議なことが起き始めたのです。それは、機械切りの食物がでるようになってから、子どもたちの心が不安定になり、落ち着きがなくなってきたのです。初めのうちは、原因がわからなかったそうですが、調査をした結果、創設期の食事は、形が不揃いで、見た目にはきたなかったのですが、保母が一つ一つ手で切ったので、その中に、愛情が深く含まれていたのでないかと気づくようになったそうです。機械切りになってからは、生命のないものによって切られ、たとえ形は美しくとも、保母の愛が、その中になくなってしまい、この愛のない食事をした子ども達は、心理的に欲求不満をおこし、落ち着きがなくなってきたのだというのです。その証拠に、機械切りをやめて、すべて職員達の手切りにもどしてからは、再び子どもたちの心がおちついてきたのです。

 嘘のような話ですが、私は真実ではないかと思えるのです。障害のある子どもたちと接していると、口では説明できないことが多いのですが、目に見えないものを鋭く感覚的に捉えている現実に驚くことがあります。
 
 止揚学園では、見えるものより、見えないものの価値を大きくとらえております。阿南養護学校で勤務しているとき、PTAの研修として、この止揚学園を見学することになり、私も喜んで参加しました。風呂もボイラーでたくのでなく、木を燃やしていました。洗濯物も乾燥機は使わず、すべて天日干しなのです。食器も割れにくいポリプロピレンの器ではなく、すべて手作りの陶磁器を使っています。どちらにしようと同じ事ではないかと思う私ですが、止揚学園の方は「違いますよ」と静かにお話ししてくれました。この学園の隅々まで、「目に見えないものを大切にする精神」が息づいていることを肌で感じてきました。私も少しでもこの精神にあやかりたいと願う昨今です。
 
  「僕アホやない人間だ」、福井達雨、柏樹社、1969
  「子供に生かされ子供を生きる」、福井達雨、柏樹社、1978

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